塩原町 那須塩原市 那須町
太古の昔からその歴史を今にとどめる
渓流沿いの山里は、明治大正の文人墨客に
こよなく愛された創造と憩いの地でもある。
妙雲寺
建久5年(1194)平重盛の妹・妙雲禅尼の草庵を祖(開山は1312年)とする臨済宗妙心寺派の古刹。夏目漱石などの文豪による多くの文学碑が境内に立ち並び、「文学の森」とも称されています。
5月中旬から「ぼたんまつり」が開かれ、大輪の花が一斉に開花します。夏にはお堂や境内がライトアップされ、幻想的な雰囲気を楽しめます。

天皇の間記念公園
栃木県有形文化財指定。大正天皇や昭和天皇が利用された旧塩原御用邸御座所を移して開園。大正天皇や貞明皇后の写真や調度品などが多く展示されています。

塩原八幡宮 & 逆杉(塩原八幡宮境内)
塩原八幡宮:
八幡太郎源義家が奥州征討(前九年の役1058年)の途中、八幡宮に立ち寄り戦勝祈願を行ったという歴史を持つ塩原鎮守の神さまです。

逆杉:
源義家の戦勝祈願をした際、竹の代わりに杉の木を使いました。その杉が根づいて逆杉になったといわれ八幡宮の御神木となっています。雄木、雌木の2本に別れ幹回りはそれぞれ、11mと8m、樹高は40mもあり、樹齢は約950年とされています。国指定の天然記念物です。

文学散歩
塩原温泉は尾崎紅葉、夏目漱石、谷崎潤一郎など明治の文豪が数多く訪れ、著名な作品を残しています。
そのため塩原町は「文学の町」としても有名で、町の人々は作品の多くを石碑に刻み大切に保存しています。「湯ったり」の後は「ゆっくり散歩」して、明治の文人に会ってみてはいかがでしょうか。
左の文学碑は、ガマ石園地の中にある尾崎紅葉の「続々・金色夜叉」で塩原の風景を詠んだ物です。


源三窟
平治の乱で敗れ自刃した源三位頼政の嫡孫、源有綱(義経一派)も鎌倉の戦いに敗れ、文治3年(1187)に敗戦の身をこの洞窟に隠しました。再起を待ち雌伏の時を洞窟内で過ごしていましたが、洞内に流れる滝水で米をといだとぎ汁が流れ出したために発見され、哀れな最期を遂げたと伝えられています。以来、この滝は米洗いの滝と呼ばれています。

洞窟は天然に出来た鍾乳洞で、全長は40mほど。洞内の温度は年平均15〜16度で、夏は涼しく、冬は暖かです。鍾乳洞の中にできるタケノコの形をした石筍や石柱などの存在とあわせ、塩原における地質学や考古学研究の貴重な場となっています。


木の葉化石園

今から数十万年前、塩原温泉は東西約6Km、南北3Kmの三日月型をした湖でした。湖周辺にに生息していた様々な動植物は、火山の噴火による火山灰や、周辺の川から運ばれた土砂によって埋もれて化石になりました。これを木の葉石と呼んでいます。左の化石は「シオバラガエル」、太古の歴史を今に伝える貴重な証拠となっています。


塩原七不思議

塩原には古くから言い伝えられた不思議な伝説があります。
1.逆杉 2.精進川 3.冬の桃
4.一夜竹 5.片葉の葦 6.夫婦烏
7.冬の蓼

5.片葉の葦
精進川のほとりで、お坊さんが修行をしていたとき、そのお坊さんに思いを寄せた村の娘が毎夜葦笛を吹いた。しかし毎晩聞こえるその笛の音にも、お坊さんの心は乱れることなく修行を続けた。夏の半ばを過ぎたある夜、少女は葦の葉かげに姿を現し、一筋の涙を流した。葦笛を吹くために娘が葉をちぎったので片方だけになったとか。この地に生える葦の葉は、初めは両葉でも7月の半ばを過ぎる頃から、全て片葉になってしまうという。

Copyright (C) 2009-2010   GAZOO那須村. All Rights Reserved.
現在の閲覧者数: